正しいなんてあやふやを信仰する愚か

ひとりで生きるための懺悔。大人になる虚しさ。

あれは冬だった。

あれは冬だった。白にふらふらと落ちていく雪は、
風にもてあそばれ
飛び上がるようなつめたい風は何も関係ない
ボクを吹きつけた。
返事をしないコンクリートブロックはまるで
凍っているように見えもするけれど
かれらはそう無機質に生まれただけだ。
ボクの背より大きく積み立てられたそれは
あっちの校舎とこっちの校舎をつないでいる
渡り廊下として橋の名を取り上げられた。
顔をあげると見える
コンクリートより白くて、青い灰色が
降らす丸くて軽くてつめたい
雪は昨日からやまない。



赤く燃えるストーブの前で
焦れるヤカンの鉄と溢れるような石油の匂い。
包むような朝の冷気と照りつける熱さは
わかりあうことはなく
温い寝床から這い出されたボクたちは
8時間の睡眠で温まった寝巻を脱いで
冷えた洋服に身を通す。
青い時間に家を出ると、
黄色く白む学校に着く頃にはもう
暑いのか寒いのかわからなくなっていて
顔の中でも頬だけが猿のように赤くなった。
寒いと緊張したように身が縮み、
口数も減った教室は新学期のようだった。


物心ついた頃からボクと
鼻水とは切っても切れない仲で、
寒くなると余計たくさんうまれるそれは
中休みのたびに3回では切れないくらいちり紙も
時間も消費する。授業の終わりごろになると
鼻の穴から溢れんばかりになっていた。
ときたま、かみすぎたり乾燥によって
はなぢが出ることがあり
授業中穴を伝う水気を察して鼻を摘むことで
白いノートを汚さずに済んだ。

少し上を向いてポケットから
出したちり紙で鼻を塞いで
「せんせい、はなぢー」
と言うと、そのままでも授業を受けるには
問題ないのだが、先生たちはあわてて
「保健室に行ってきなさい」
と言う。
保健室に行ってもある程度のはなぢなんて
綿を詰められて予備の綿
をもらって返されるだけなので
実際のところ、トイレでじゅうぶんなのではあるが
気が乗ったときには
授業を抜け出してみる。

1組の前を通ると、甲高い女の先生の
声が、算数を教えていた。
ろうかの窓に近い、いくつかの
退屈な児童の顔がこちらを向く。
それは3秒と持つことはなく、元の位置に
戻る。ある先生は、
これを注意力がさんまん
だと得意げな顔で言ったが
授業中そこに人はいない
ことが普通なら、そこに人がいたとき
注意を向けるのはいきものとして
けんぜんであるとボクは思う。
だけれどボクをみる
そのけんぜんは腹が立つので
ボクもそれをさんまんだと思う。
記憶の得意げな顔も腹が立ったので
先生はけんぜんではないということにする。

薄い黄色の階段の隅には
ほこりが溜まっている。ぞうきん
で拭いているのだとしても
ボクはここに寝そべることはできない。
急ぐ必要はないのに、根は
まじめなボクは
少し早足で階段を降りる。
踊り場の大きな窓には
雪が踊っている。
ひとつ下の階の廊下に向き合うと、
みっつぶんの教室の声がする。
ひとつ生まれる年が違うだけで
色が変わるのはふしぎだ。
もうひとつ下の階まで降りて
あっちの校舎とこっちの校舎をつないでいる
渡り廊下にでると
身をたたくような寒さで満ちていた。
誰もいないコンクリート
を歩きながら、ボクは少し
ウキウキした。
このまま図書室なんかに行ってみて
本だなと本だなの間のふしぎ
な空間から、絵本みたいに
秘密の大冒険をしたいな。