思考雑記P
今までの雑記で自分が前向きになれる言葉のまとめ。もしかしたら、来年のこの季節の憂鬱の助けになるかもしれない。
思考雑記0
2024-9/7
結局、望む自分になりたい、友だちがほしい、自由にどこまでも行きたい、これ。
全部ムズ、なので絵をかくか、と思っている。
12/20
自分の絵が好きだから描かなくなったら悲しい
8/5
人生と一緒、当時嫌だった自分を見返して面白いじゃんと感じるみたいに、今の絵もあとから見たらきっと好きだと言うから。
8/18
なんか、自分が1番自分をだめにしてるんじゃないか?うるせーーーしらねーーーーーで望むこと全部やってしまえばいい。
9/4
「自分を受け入れるってどういう感じ?」ってきかれて出た言葉が「自分で自分を苦しめたくない」だった。
9/5
獣のように生まれたから、情緒が追いつくのが遅くて今頃気づくことがたくさんあっても、いいのかもしれない。
思考雑記1
9/19
生まれの質が結局正解を叩き出すこの世の中で、負けたくないよ〜。
自分が何をしたいのかが重要だな。
9/23
絵を失くした自分になるくらいなら、しんだほうがマシだと思っていたけれどそれは違った。また絵をかけるようになりたかったんだ。
思考雑記2
9/25
てかお前その悲観、現実逃避だからな。何も楽観だけが現実逃避ではないことを忘れるな。悲観に逃げることで現実は何も変わってないという事実を見ろ。そんなことをするくらいなら楽観の現実逃避してる方がマシだ。
9/29
この生き苦しさを紛らわすために何かに狂うことが大事だってずっと言ってるけど、それでいつか私が生む側になれたならいいな。それなら昔の自分の作ったものに狂うのはどうでしょうか。(メモ)
9/30
絵かけないならネームか、絵をかく作業が嫌なら小説書くか。何も絵じゃなくたっていい。何かを作りつづけよう。
(7月)
行きたいとこしてみたいこと、食べたいもの見たいもの、増やすことって、実行することって生きることだと思う。今年はそれを目標にしてる。きっと来年もそれを目標にする。
10/1
あんなに切望してる人に愛されることと、創作の2択で即決後者なんだから、うだうだ悩んでる暇はないんだよ。人生は短いんだもの。
思考雑記3
10/2
良い方に現実逃避してください。それが夢物語だとしても、それが生きて創作する道に繋がるのなら、しぬよりよっぽどいい。
10/9
楽観的現実逃避→創作?
脳のリソースを苦に割いて自爆するの勿体なくないか?
10/11
なんとかなるからただ自分の人生を一生懸命に生きていくしかないんよな。
今の状況で自分が出来ることを楽しむべきなのかもしれない。私に必要なのは楽観的現実逃避
10/13
デジタル時計眺めてたけど、刻一刻と生きる時間削られてくのに、こんなことしてる場合じゃなくねえか?
2024-7/30「時間は無限ではない。」
強迫性障害が酷かったときに抜け出すキッカケになった言葉なんだけど、今回もそうなのかな?
思考雑記3
2021-10/24「もう誰かを嫌いになりたくない」
こどもの頃と同じもののように認識してるんだろうな。
他者からも己からも絶対に守ってる、これがいくら自分で自分の人間性を否定しても肯定してしまう感性の正体なんだろう。
そう考えると感性を率直に自己表現してるときって純粋に自分を好きでいられる瞬間なんだろうし、他意なく残したい自分なんだろうな。
思考雑記2より
10/2
意味わかんない。お前はだれ。なにをいってるの。
ガチで壊れる前の私(というか壊れる寸前なんですが、)きらめきすぎてる。誰がこんないたいけな宝石を割ったんだよ、本当に。
青臭くてかわいい。逆に今の俺が誰だよ😭お前なんなんだよ……
病を経て余りにも自分が鈍色になっていて悲しい。おかしい。あまりにも狂ってる。いや、頭がおかしくなりそう。発狂しそう。人生がおかしいって。頭おかしくなりそうで怖い。
落ち着こうと思って、それ以降の絵を見ても全部何かが決定的に欠損してる気がしてくる。大丈夫、大丈夫、それは悪い考え方だから、大丈夫、大丈夫、なくしてない、なくしてたとしても一生懸命生きたこの5年を否定するな。
良い方に現実逃避してください。それが夢物語だとしても、それが生きて創作する道に繋がるのなら、しぬよりよっぽどいい。
>本当に自我が飛ぶ感覚が分かるほど頭がおかしくなりそうだった。クソ調子悪いけど翌昼カウンセリングだったんでこの話をしたら、最後のをできるようになった成長でカウンセラーが泣いてくれた。驚
10/4
昨日寝たんだけどどうやって寝たか思い出そうとすると頭がおかしくなりそうという大変に変な、頭。もしかして自覚してるよりかなりヤバいのか…?私は今崖を歩いているのか?なーーにも考えずにいるのが、正解なのか?
10/6 妹に少し話した
やっぱり共感性高いか、同じような状況を理解できる人間じゃないと、私が納得できるような言葉をもらえるわけじゃないよな。だからカウンセラーは安易にアドバイスをしないわけで。
普通に人間への憎しみや興味の希薄さが鎮まるまでゆっくりしてるべきなんかな
他人に期待するなという言葉は悲しいから大っ嫌いなんですが、鬱経験してから期待も何も無くなったというか、他人に対して見れる幻想が薄くなった気がする。誰か早く私を狂わせてこの世から救ってください。貴方だけを描くことに私の人生を使わせろ。(創作がんばるか〜)
10/9メモ
楽観的現実逃避→創作?
脳のリソースを苦に割いて自爆するの勿体なくないか?
10/11
3年の引きこもりのハンデはデカいし、上手く行きそうな矢先に入院でまた何コマも戻るような踏んだり蹴ったり、人生で1番何でもできる時期に体力もお金もなくてマジで私の人生どゆこと?なんだけど、なんとかなるからただ自分の人生を一生懸命に生きていくしかないんよな。
多分この歳で何もないことに焦って苦しんでるの、あとから見て馬鹿だなーって思うんかな。それなら今の状況で自分が出来ることを楽しむべきなのかもしれない。私に必要なのは楽観的現実逃避
9/25
てかお前その悲観、現実逃避だからな。何も楽観だけが現実逃避ではないことを忘れるな。悲観に逃げることで現実は何も変わってないという事実を見ろ。そんなことをするくらいなら楽観の現実逃避してる方がマシだ。
思考雑記2より
10/13
(メモ)中途半端に成ってるから、じゃあ全部壊せば……?
デジタル時計眺めてたけど、刻一刻と生きる時間削られてくのに、こんなことしてる場合じゃなくねえか?
▷2024-7/30「時間は無限ではない。」
強迫性障害が酷かったときに抜け出すキッカケになった言葉なんだけど、今回もそうなのかな?
思考雑記2
8/26
引きこもりが世に出て1年半経つけど、出まかせが上手くなったな〜〜。これが普通なんですか?普通に生きてくってキモいね、人間。
でもね、無理。変われない。そんなの面白くね〜だろーがよ。お前、これ以上出まかせ上手くなんなよ。普通に生きていけるようになるな。そんなクソに。(いや、なってくれ。そうしねーとひとりで死ぬことになんぞテメー。
9/16
自己開示の感覚が難しいのって、私にとって理解されることは愛と同義であって、そして私は愛を求めてるから、なんだよ。
▷自己肯定感低すぎるのと他者への信用がないのと恐らく愛着の問題があるので、自己開示も距離感もわからず孤独じゃなくなり方がわからない。
敬愛する人への距離感を間違えて破滅するの、人生で明確に2回あるんだよね…(距離感間違えた自覚があって変な感じになったので自分から離れたことは何回もある…)
この世に出てひとりで生きていくための覚悟をなくしとるな。(ブログのサブタイトルよ)
〜〜〜
9/25
昔より上手くかけるはずなのに、かけないのほんま馬鹿げてる。たすけて
てかお前その悲観、現実逃避だからな。何も楽観だけが現実逃避ではないことを忘れるな。悲観に逃げることで現実は何も変わってないという事実を見ろ。そんなことをするくらいなら楽観の現実逃避してる方がマシだ。
9/29
みんな、私を一種のエンタメと思って。私がここから立ち直るのを、エンタメとして見てて。いや、皆さんはその線を引けるからこそ今も私の友人なんだけど……
かきたいから、楽しいから、失いたくないから、見たいから……自分の絵で見たいって気持ちも、そんなに大きくないのかもしれないなーとか、、。元来負けたくないって気持ちだけで何かをやれる人ではないんですよね。行動原理は意外と快楽主義、それと強迫観念。
バイトの何が楽かって、自分について考えない時間だから。自分を諦めた先の平穏なのかと思う。それが正しいとは思わない。あー、だけど鬱は全部を止める(とめる、やめる)ことで回復したんだ。あー、わかんない。
▷この生き苦しさを紛らわすために何かに狂うことが大事だってずっと言ってるけど、それでいつか私が生む側になれたならいいな。それなら昔の自分の作ったものに狂うのはどうでしょうか。(メモ)
9/30
絵かけないならネームか、絵をかく作業が嫌なら小説書くか。何も絵じゃなくたっていい。何かを作りつづけよう。
▷1/8 抱負・目標 やりたいこと
私はつくることがすきで、私は私のつくるものがすきらしい。それが無くなったら悲しいらしい。だから今年は昨年よりも何かをつくりたいな。
2024-12/20
カウンセリングで「自分の絵が好きだから描かなくなったら悲しい」って言語化できて、嬉しくなったし頑張ろと思った。
思考雑記0より
▷7/11-7/28
年始に今年の目標についてモダモダ言ってたけど、やりたいことやれない人間だから「やりたいことやる」にする!
行きたいとこしてみたいこと、食べたいもの見たいもの、増やすことって、実行することって生きることだと思う。今年はそれを目標にしてる。きっと来年もそれを目標にする。
叶わなかった夢は呪いになるなんて酷い言い草だと思わんか。踏み潰されてしまった花が心で咲いたままだというだけの話なのに。呪いなんて名前をつけないで。
▷執着
いつ頃かわかんないけど、私がやっと見つけた「大切」を「執着」なんて悪いみたいに言うな!とも言っていた。
2023-10/23
執着ってものがなくなった時、大切なものも一緒になくしちゃいそうだよ。
10/1
あんなに切望してる人に愛されることと、創作の2択で即決後者なんだから、うだうだ悩んでる暇はないんだよ。人生は短いんだもの。
2021-10/24「もう誰かを嫌いになりたくない」
たぶん私は、私の感性が可愛かった。
こどもの頃と同じもののように認識してるんだろうな。他者からも己からも絶対に守ってる、これがいくら自分で自分の人間性を否定しても肯定してしまう感性の正体なんだろう。
そう考えると感性を率直に自己表現してるときって純粋に自分を好きでいられる瞬間なんだろうし、他意なく残したい自分なんだろうな。
思考雑記0
2024-9/7
結局、望む自分になりたい、友だちがほしい、自由にどこまでも行きたい、これ。
全部ムズ、なので絵をかくか、と思っている。
10/3
思うに、これ(↑)を求める限り絵を完全にやめはしないんだろうな。安心しましたわ、
12/20
自分の望みがある限り絵を描かなくなることはないと胡座をかいていたら最近、描くことをめんどくせーって思っちゃって、こりゃいかん…になってたところ、カウンセリングで「自分の絵が好きだから描かなくなったら悲しい」って言語化できて、嬉しくなったし頑張ろと思った。
2025-8/2
私にとっての絵、私の人生と一緒だと思う。
あーもうやめようかな。もうだめかもこれは。むりかもここからは。と思いながら不格好な絵をかいて、不格好に生きて、これが今できる限界だとありのままを見せるの。
8/5
絵が下手すぎて後ろ足で砂をかけたくなるけれど、人の絵のすきなところを伝えるときの気持ちで、自分の絵も評価すればいいんだ……自分が自分を認めてやんなきゃ……。
今までかけたんなら自分にはそのポテンシャルがあるってことだ。人生と一緒、当時嫌だった自分を見返して面白いじゃんと感じるみたいに、今の絵もあとから見たらきっと好きだと言うから。
8/8 カ
人生と絵への向き合い方が似てて、今の自分と絵から時間を置くと愛おしく思えるのって、客観的に他人の文や絵を見るときの気持ちで見られるようになるからなんだなぁって。それを理解して、そのままの自分を受け入るとこからはじめなきゃいけないんです。
8/10
それでも今、今の自分を受け入れることはできない。過去の私は今の私じゃないから、過去の私を受け入れようと、それは応用できないよ……。(頭ぐるぐるしてきて気持ち悪くなってきた。→パニック発作出ちゃいました…たはは…)
何も奪われずに生きていくの、難しいよ。
8/18
しにたい、この世は地獄だ。自分という檻が最も厄介なんだ。だからね、気が狂ってないと生きていられないこんな世の中で、気を狂わせて生きていられないんなら、マヒさせてくれるものが大事なんだ。
自分を殺すのは自分なんだろうな。でも私だって、元からこんなだったわけじゃないよ……。
なんか、自分が1番自分をだめにしてるんじゃないか?うるせーーーしらねーーーーーで望むこと全部やってしまえばいい。
なんか、結局おれはどうなろうと満たされないんだから、早くころしてくれみたいなとこある。だからやっぱり問題は内にある。
9/3
何もしたくないからしにたい、何もしない自分に価値なんてないんですよ。
9/4 カ
「自分を受け入れるってどういう感じ?」ってきかれて出た言葉が「自分で自分を苦しめたくない」だった。だけど苦しめて苦しめて苦しめて…その先に1粒、私の中の真理が真珠のように輝いてるような感覚を先生も分かってくれていたのが、嬉しかった。それをしてもいいんだと思えたから。
鬱がやばかったとき思考全部放棄してぼーーっと生きた時期があったんだけど、そっから受診やめなかったことも、時間を置いて見てみる自分を愛おしく思えることに気づいたことも、今回も、自分で気づいていくことが上手だから、なんだかんだ生きていける人に見えると言われたけれど、怖いよ。
少しの器用さを持つ生きるのが下手な人間ほど、生きづらいものはないのではないか。(とほほ…)
9/5
若くして実る人って早熟だよな〜私はそれになれないんだって落ち込むこともあったけど、獣のように生まれたから、情緒が追いつくのが遅くて今頃気づくことがたくさんあっても、いいのかもしれない。
思考雑記1
何かを作るのって私にとっては冒険に似てて、昔はそれが楽しかったのに、あるときから臆病になっちゃったよね。
生まれの質が結局正解を叩き出すこの世の中で、負けたくないよ〜。
筆折るか考えてた。下手でも描き続けたもん勝ちなんだから、死んでもかいてよ。泣きながらかきつづけるそこに意味はあるのか。現実逃避やめなー
季節性の鬱ですね。お薬出しておきますから無理しないで。センセー私みたいな人間は無理しないとダメなんです。無理しないと、価値がないんです。センセー、私みたいな人間は、ただ生きてるだけじゃ、ダメなんです。
自分が何をしたいのかが重要だな。
わからん。多分私は、絵をかかなくても生きていける人に、なってしまったんだ。
それをなくしたらなんもない。こんな私なら、もうしんだほうがいい。こんな私を、いつどの私だって、望んでなかった。
ああ、ただそれが真理すぎる。殺す前に殺されてしまった。
このメンタルで脳内楽曲がハピハピハッピ〜なのが、かなりやばい。
いや、わからん。かけそうな気もする。最近見た色々なものが潜在意識でdvdの待機画面みたいに浮遊してるのが、上手く行けば、上手く転ぶと思う。
この時期に決まってこういう時期が来る理由が、自分が生まれた日が来るから、ですよ。はじめてパニック発作が出たのもこの時期だった。ある程度安定してきた今年においては、その日が来るからというわけではなく、この4年のうちに染み付いて結びついてしまった、習慣のようなクソです。
20250919
追記20250923
絵を失くした自分になるくらいなら、しんだほうがマシだと思っていたけれどそれは違った。また絵をかけるようになりたかったんだ。
関連
その本は「シ」で終わる。
幾度となく春のようだと感じたのは、平成最後の冬のことである。それは大半を占めて雨の降る冬で、気づけば降っているその雨を、春雨と呼ぼうかと云うほどあの春特有の冷たさと生暖かさが混じる空気に、似たようなものが、水分を含んで執拗に肌を撫でた。4月を知るより前に新学期を取り上げられたせいか、あれからずっと入学式前の心持ちが何処かにある。冬の春雨は、5月のやりきれないような、それとも4月の桜が散る新世界への胸騒ぎのような、不安や期待の入り交じる空気をヒタヒタと確実に刻んでいた。
死というものについて、現実味が帯びたのはいつだろう。何故生きてるのか、何の為に生きているのか、そう自分に問いかけ始めた小学生のあの頃であろうか。または、中学生時代に起きた友人間でのトラブルの果て、何事にも手を付けられなくなって半ば自暴自棄で進んだ高校で、学べることが少ないと気づき学校へ行く意欲は低下して、殆ど毎朝家の人と揉めては時々学校をサボり、2時間目が始まる頃に目覚めては正気な精神が「自分は何をしているんだろう」と、寝ぼけ眼があおい空、くもりの空、そんなものを見ていたときだろうか。それとも、大きな力の前で、自分の声なんてものはちっぽけだと気づいた、アスファルトに這いつくばった、あのときだろうか。
ある時期から私は父親とは暮らしていない。代わりに、ニコチンに肺を染めたアルコール漬けの祖父と、秘密主義な祖母と一緒に暮らしている。身の回りの大人というものは、自分の過去について詳しくは語らないものだった。しかし、その一般的なおとなたちの規則にしては度を超して、祖母は過去のことがよくわからない人物である。もちろん祖母自身語らないというのもあるのだけれど、母でさえ実母の生い立ちのようなものをよく知らないらしかった。祖母が自分のことを話さないのが私が生まれてからの常であったから、聞くということにも至らないし、私は知るはずがないのだ。そしてひとつ、どうしても理解できないことがある。祖父は身内から縁を切られるような人だった。毎晩、時には朝から酒を飲み、安寧の食卓などはおよそ経験に無く、夕食のたびに気分を害す悪態をついた。祖母と喧嘩になるような晩は、夜中の怒号や、手をあげたのかと思うような食器の揺れる音がして、いつ私たちにも危害が及ぶのだろうかと恐怖に怯えた。しかし母が子供の頃の話を聞くと、それでもまだ柔らかくなったようだった。どうして祖母は、祖父と結婚したのだろう...。
平成と令和がまたぐ年、ふと今までに増して痩せ細っていると私も妹も気づき、違和感を感じ始めた。そのあと何がきっかけだったか、病院にかかったところ祖母は肺ガンと診断された。祖父のタバコの副流煙は、勿論責められる。祖父は訳のわからない例え話をしては、自分の責任を認めようとはしないが、幸せにできないのなら結婚という形、暴力という形、なんにしろ自分だけのものにする形で縛ろうとする資格などないし、第一何よりもみっともない。身内の非難を続けたって私がみっともないのでこの辺でやめておくが、自分の血の傍らに祖父を見るとき、私もまた自分を嫌うのだ。
死の現実味、せんせいは、芸術家は活動できなくなる時がいくつかあって、そのひとつには両親の死があると言った。思い返せばあるいはそこに「死の現実味」とやらのしっぽを、みたように思う。しかし、私は今の段階で、着実に死の現実味を感じている。日に日に、元々痩せ型だった体がもっと細くなり、骨さえも確かにあるのかと疑いたくなるほど細く、髪が抜け、そんな、人の命の灯が弱っていく様を、ずっとそばにあった人の存在が消えそうになるのを、ただ見ていることしかできない。悔しい、悲しい、そういった気持ちが湧いてくるたび、死は現実のものであるのだと訴えるのだ。それは、この冬の雨のようにしんしんと、しかしヒタヒタと着実に、私を染めあげようとする。
私が友人と、遠くの場所まで行くようになって、もう成人も近いんだし当たり前なんだけど、私が成長していくたびに朽ちていくものもあるのだと思い知る。
生きて、知り、成長する。私たちは日々「スキ」が変わっていく。むかし、ひとつひとつが刺激だったものも、なんでもない物に変わっていく。すこしさびしいね。わたしが「できることが増えていく」ことと、近くにいる「だれかが去っていく」ことは、似ている。
2020/01/12 再掲
彷徨う星 序文[自由]
落ちる視線の先、色褪せたコンクリートは控えめな7月の陽射しを眼にのばし、色ずれを思わせてどこまでも続く。
何とはなしに見詰めていると、ふとどこかへ行ってしまいそうな感覚になる。魂なのか意識なのか、自分を自分たらしめる認識の核のようなものが、「ふっ」と人間が無意識下でさえ営む呼吸ひとつで飛んでゆく、惰弱なわたげのように。
私はこの感覚を知っていた。
毎年夏がくると、目の前が暗くなったり明るくなったりして、外気は温かいのに冷や汗がふきでる。体は冷たくなり、力が入らなくなって、その場で動けなくなってしまうことがあった。
小学6年生の頃、運動会の練習の最後の号令の途中に、テレビの砂嵐が目の前を侵食していった。それが視界を全て覆ったとき、私は棒立ちのまま前に倒れていた。しばらく力が入らず、そうして倒れたままでいると次第に周りのざわめきが耳に入ってくる。教員が駆け寄ってきて声をかけると、魔法が徐々に溶けるように頭が冴えていった。体躯が大きかったので教員がほとほと困りかけていたのだが、それは大層面白かった。
水を飲んで横になればすぐに体調は回復するので、これはおおよそ熱中症なのだろう。
件の中、体に力が入らなくなってその場にへたり込むと、意識が体を伴わない感覚は、私と現実とが隔絶されているようでまるでこの体はただの器だとでも言っているようなものだった。
見えているものと、体を動かすこととの繋がりを断絶する不快感(バグ)の恐怖を私に植え付けてきたのは夏である。
それでも私は、そんな、どこへでも行けそうな夏がすきだった。
夏にあてられている。
「少年になりたかった。」
主人公の少年は、物語りの中で家出をする。行く宛なんてない。長いこと電車に揺られた少年は、繁華街の路地裏でダンボールを敷いて眠った。
私は、この行為に酷く興奮した。
これこそが、過去の私が求めた最大の自由だったからだ。
「だから、私が高校生のときに口癖のようにずっと言っていた『帰る場所がない』というのはつまりこういうことだ」というのはひとつ前の記事「最初からずっと虚しい選択をしてた」から引用したものである。
高校生だった私は、家にも学校にも居場所を見い出せていなかった。どこか別に自分の居場所があると現実逃避して、いつもどこか遠くへ行ってしまいたかった。
しかし、幾度も家へ帰らないという選択を考えてはそれを実行できなかったのは、私の身体が「女」であったからだった。家に上がり込めるような友人なんていうのは生まれてから一度もいたことがない。私の人生なんていうのは、そんなものだった。だからこの「家出」というのは、先述した少年のような「外で晩を明かす」ということを指していた。それは「女子高生」である私には選択することのできない選択肢だった。
想定できうる複数の最悪の事態に怯えながら自由をとるか、それとも。
結局私は自由をとることはできなかった。それがどれだけ歯痒かったことだろう。私は泣きべそをかきながらひたすらに自転車を漕いで、家に帰るしかなかった。
今の御時世、男性でさえ危険のある世の中だと言われている。だから、私の持つ少年像が夢を見すぎていると言われればそれまでだ。ただ、私の抱く少年像というのは自由そのものだったのだ。だから私にとって少年というものは、自由への希望に、憧れに成っていた。
園児だった頃すでに「おとこのこになりたい」と言っていた記憶がある。だからその憧れは潜在的なものであったのかもしれないし、或いはもうその時分から何か足枷を感じていたのか。
思い返せば物語の中の男性性を羨ましいと思うことはよくあった。例えば、いつも誰に対しても生意気なのに、誰よりも強い主人公。例えば、自分の作品にイチャモンをつけられて、その相手を殴ってしまうような破天荒な主人公。
「男の子」にしか許されないことがある。
それが一種のデフォルメだとしても、私にとってそれは手に取ることのできない「自由」にみえた。
「少年がすき」というカテゴライズされた好みに隠された羨望、希望、憧れに気がづいたとき、私は少し嫌気がさしてしまった。
もしかして、「すき」という感情は裏返すことができて、ということは「すき」という感情は純粋なものではないということに気づいてしまったからだ。
序文[自由]─終─
2020/07/07 再掲
この夏、希薄な命について思い出したので持ってきました。途中言及されてる引用元に関してはまたおいおい再掲すると思います。