正しいなんてあやふやを信仰する愚か

ひとりで生きるための懺悔。大人になる虚しさ。

溺夏

あついスープの中、溺れる
ちいさい猫のなき声みたいな 呼吸
沈む神様の様相でいて溺れていた
溺愛と 初めに云った人の感性がすき
不気味な風   不気味な風   不気味な風が
いつも霧に満ちた森の暗い淵に立たせる
ちいさな足音でくるくる回る
回し車が胸の中
『溺夏』20230821

 

夏の中の私の話です。お久しぶりです。

この詩を含んだ8月の私のことを書いていたりしますが、8月中に間に合ったらいいな。次の記事はそれになると思います。

相変わらず、私のブログには実は未だ読者の方が居ないんです。それでも私はたまにこうして「お久しぶりです」なんて言って話してみるんです。

ここを開設する1年ほど前から私の心は活力的には歩けなくなっていました。理由はそれより2年ほど前に受けた大きなストレスをキッカケに、その2年間大丈夫なフリをして、快活なフリをし続けていたからなのかなと思います。そのあと1年ほど這いずるように頑張って、在る日、その私の頑張りが全て報われぬまま私の人生が滅亡する日が訪れました。

その後の1ヶ月は思い出しても自分のことだと思えないような、例えば自販機の横に捨ててある砂っぽくなったペットボトルや、路地裏のネズミのような日を過ごしました。そういう日が落ち着いてきて、私は詩を書いてみるようになり、それを載せるためにここを開設しました。

https://mumyouai.hateblo.jp/entry/2021/04/13/041852

それから2年ほど経ちます。私は私を救うために、悲しくて破裂しそうな気持ちを沢山詩にしました。今は、しあわせな詩をひとつ書いてみたいと思っていますが、今の私にはまだ難しそうです。