正しいなんてあやふやを信仰する愚か

ひとりで生きるための懺悔。大人になる虚しさ。

カラッポ 秋

「暗い」空気に包まれるのが心地よかった。
夜や早朝、雨の日なんかはもう、半袖でいるには肌寒さを感じる9月も、もう終わりそうな時期に来た台風。バラバラと音を立てる青色の屋根や、ブロンズ色の窓枠に囲まれたガラス窓が雨音の演奏を手伝っていた。
それ以前には雷までなっていたものだから、少し、退屈だった。
そんな中、重い腰を上げてやわらかな寝床を発ち、浴室へ向かおうとしたものの、一旦台所へ向かった。時計を見ると、もう深い夜を迎えていたので、ボイラーの電気を付けるのをやめて、また寝室へと戻った。
もう雨も止んで、私は独り、残されたようだった。


祖父の吐いた、メビウスの白い煙が、去っていこうとする私にまとわりついた。己の酒癖の悪さ、気性の荒さから孤立している、そんな彼の孤独が痛いほど訴える。いよいよからだ中に取り込まれそうになったとき、9月に居るはずもないほどの冷気が煙を連れ去った。秋の奥に潜む、冬を見てしまったようで、少し怖かった。
彼の孤独は少し、私と似ているように思う。理解され難い人格というのは一定数あるものだから、ただそれが似ていた。他人に好まれにくい、難しい人格を持っているのに、愛されたがりで人と居たいから、満たされないそれはやがて攻撃という手段に至る。愛を知らない、弱い、弱い心。それを覆い隠したいから虚勢を張るのだ。ただ、誰かに抱きしめてほしいだけなのに。

ある日の午後1時頃、シャワーを浴びた。鉄格子から薄い黄金の陽がこんこんと、湯の蒸気を白く写し込め、朝霧のように透き通った。まるで、雨上がりの霧が立ち込める朝の森のようで、ふしぎで綺麗な空間だった。そんな空間でからだを洗ったのだから、少しは外見も、心も、綺麗になればいいのに。と思った。

夜、布団に入ると、そのあたたかさと匂いにほっとする。寝苦しい夏に比べて、寒いというのは寝るのが心地よい。親に恵まれなかった故か、自身も「育てる」ことができていない従妹が飼育している、否祖母のうちに置いているだけのハムスターにエサをやったことを思い出した。もうすぐ冬だからとヒマワリの種を多めにあげた。ハムスターも冬眠だとおもった。

不協和音の会議のような虫の音は、滝のせせらぎのような音になって、死ぬまで働き続ける秒針の音が聞こえるようになっていた。


雑木林の上の方。
木の葉の揺れ交じり合う隙間から漏れる、木漏れ日のような月光は黄金色で、秋というこの時期にだけ見せる月の色は、まるで天井の照明の色にも似ていた。
あの、「夕焼け」としか呼ぶ気もなかった照明のことだ。
数日前には「みたらしだんご」のようだとも思ったし、幼少の頃から呼び名に困っていたあの照明に、みっつも名前がついたこと、幼い私に教えれば、どんな風に喜ぶのだろうか。
もうすぐ19にもなる。後ろ紐なんてもう殆ど忘れたようなものだと云うのに、秋生まれだからか秋の空気を特別懐(ゆか)しいと感じる。大きかった曾祖母の、しわくちゃで、でも大きく少しあたたかい、柔らかくはないけれどふしぎと安心できる、そんな手に引かれ、コスモスの咲く用水路の脇を歩いた。ゆうやけこやけのチャイムが役場から流れるのと一緒に歌った。
病院の待ち時間に『もみじ』がオルゴールに紡がれていた。私が小学校にあがって教わった歌の中で、最も気に入ったものだ。秋。今月の朝のお歌の時間は『もみじ』だった。初めて聴いたその日、うちに帰ると曾祖母に歌ってみせた。こんな素敵な歌を教わったんだよって。曾祖母も好きな歌だったようで喜んだ。少し悲しい歌だねって言いながら、ふたりでよく歌った。その時期には、近くの川へ行って、数珠玉を取ったり、反対側の町にどんぐりや落ち葉を取りに行ったりもした。
曾祖母のことがいちばんすきだったし、私ももっとちゃんと子供だったから、皆のことがすきだった。
そんなあたたかい思い出なんていっぱいあったのに、もう思い出せないこともいっぱいあるんだろう。これから先、どんなに幸せなことがあっても、幼い頃ただ何も知らず過ごしていただけの、幸せに勝るものはないだろう。もう戻れない。だけれどそんな最も幸せな頃を、忘れていくんだろう。
そうして、中身を忘れた懐しさだけが残って、からっぽの気持ちは満たされないまま、ただ、孤独だと、そんな虚しさだけが、私に寄り添うだけだった。

2018/10/04 再掲